OBの声

井上智広(NHK番組制作局)


写真:NHKスペシャル「放送記念日特集・テレビは次の時代へ」の取材中の写真

私は現在、NHK番組制作局の科学・環境番組部というところに所属し、いわゆる科学番組を中心に制作するディレクターを生業としています。NHKに入って6年目になりました。私が地震研究所の大学院生からこういう世界に入ろうと考えた頃、まだ周囲にはあまり前例がなく、果たしてそうした転身が自分にとって有意義なものとなるかどうか、正直迷いもありました。しかし、今振り返って、自分が地震研究所で学んだ人間として、今こういう所で仕事をしていることに大きな意味を感じますし、だからこそ私の地球科学系の後輩が、同じく科学系のディレクターとして立て続けに入局するようになったのだと思います。

私は大学に入った頃から、地球物理学を学ぶのが夢でした。竹内均先生の著作などの影響もあり、地震学を中心とする固体地球に関心を持ち、どういう過程で地震が起こるのかを解明したいという思いで、地震研究所の大学院に進学しました。そこで出会ったのが、計算地震学という、コンピュータを使った新しい地震学のアプローチを実践しておられた、宮武隆先生でした。光栄にも、まだお若い宮武先生の一番弟子となることが出来た私は、学生の興味や方向性を大事にされる先生の指導方針の下で、狭い分野にとらわれず、計算機という武器を地震学にどう活用するか、そのアイデアの部分から先生と共に考えさせて頂く機会を得たことは、非常に有意義だったと思っています。そんな中で見えてきたのが、それまで地震工学が主として扱ってきた「地震防災」という分野に、理学の観点からメスを入れてみようという試みでした。差分法解析を用いて、仮想震源からの破壊伝播を計算し、ある地層構造条件で、地表面にどの様な強震動が現れるかをシミュレーションするという研究で、何よりも当時は大学の研究室レベルでは未発達だったCGを駆使して、視覚的に分かりやすくプレゼンテーションすることに工夫を凝らしました。私自身、研究のプロセスはもちろん、それを如何に魅力的に多くの人にプレゼン出来るかという部分にもともと興味が強かったこともあり、この時の研究の方向性は、今の仕事にも非常に基礎になっていると思います。

折しもそこで私が出会ったのが、兵庫県南部地震でした。地震後間もない被災地へ地震計を持って乗り込み、六甲山で余震観測を行うといった経験を積む中で、私の印象に残ったのは、我々地震学を学ぶ者にとっての知識や常識が、いかに一般にとっては縁遠く、理解の届かないものであるかということ。また逆に、彼らが期待するような答えを、専門家さえ模索しているのだということが、いかに一般に知られていないかということでした。「社会と科学の接点に立つ存在の重要性」そんなキーワードが、この頃自分の頭に浮かぶようになりました。だからと言って、最初は自分がマスコミに就職するという考えは少しもありませんでしたが、研究所の同期がたまたまNHKを受験したという話を聞いたのがきっかけで、そういう進路があり得るのだということに思い至った次第です。「科学を大学院レベルまで学んだ人間が、その知識と感覚を活かし、研究者に信頼されるような取材者として、科学を広く社会に広める仕事が出来ないか」そんな思いを強く抱くようになりました。

私の就職活動は、科学系マスコミという一点に絞られ、雑誌「科学」を発行する岩波書店、科学系に強い朝日新聞社、テレビ制作会社、そしてNHKと、一通りいろいろなメディアを受験しました。自分の適正と、そこで自分に何が出来るか、また自分がやりたいことが客観的にどう評価されるかを知りたいという思いで受けた所、以外にも自分が目指すものに興味を抱いてくれる会社が多く、結果的に映像表現に個人的関心の強かった私は、縁あって今の組織に内定をもらう結果になったわけです。

その間、寛大にも宮武先生は、軌道に乗り始めていた研究を半ばに別の方向性に進もうとする恩知らずな一番弟子を、精一杯応援して下さいました。研究者として残るかどうかを別にして、経験のために海外の国際学会での発表の機会を与えて下さったり、内定後は、私が新しい世界で、地震の専門性を活かして意義のある仕事が出来るように、いろいろ示唆を下さったり、今思い返しても感謝の念にたえません。

NHKに入って最初の5年間は、福井放送局で、ローカル放送を中心に、科学に限らず様々な番組制作を経験してきました。そして昨夏から、念願かなって東京の科学・環境番組部の配属になり、いよいよ本格的に、自身が目指す「あるべき科学ジャーナリズム」を模索して、意欲的に活動していこうと奮起しているところです。最近は私のように、大学院にある程度在籍してから、ジャーナリズムの世界に入ってくる人も増えてきました。私は、そうした仲間が力を合わせ、また自身を育ててくれた研究社会との密な連携をとりながら、知識のブラッシュアップを怠らず、日本に充実した科学広報と科学ジャーナリズムの土壌を築き上げることは非常に重要だと感じています。日々の仕事に流されそうになりながらも、この世界に旅立つ時、お世話になった地震研究所の先生方から、「ぜひ研究者が安心して話せるような取材者になって、研究者でさえ新たな知見を得られるような科学番組を制作して欲しい」と励まされたことを思い起こし、その責任感を再認識しています。

現在は、今春から始まる「サイエンスZERO」という新番組の担当グループに所属し、科学に関心のある10代以上の視聴者を対象に、科学の最先端を「ゼロ」から分かりやすく、魅力的に伝えるという仕事に従事しています。「テレビ的なるもの」と「科学的なるもの」の両立に葛藤する日々ですが、間違いなく言えることは、今自分がこうして充実した毎日を過ごせるのも、地震研究所で優れた先生方のご指導を受け、そこで自らが発見し、学び、感じたことを評価された結果として、意義深い仕事が出来る環境に恵まれているからだということです。私が宮武先生に学んだことは、狭い意味での学問的知識だけではなく、物事を探求し、問題意識を掘り下げ、その結果見えたことを魅力的に人々に伝えるという「感性」でした。私はそれを大切にしながら、生涯「一研究者」であり「一探求者」であり「一表現者」であり続けたいと考えています。

以上